ブックレビュー:池内了著「科学者と戦争」を読んで

今月の担当は橋本です。今回はブックレビューの2回目として、「科学者と戦争」(岩波新書1611 2016年6月21日初版)について、取り上げようと思います。
8月は故郷に思いを馳せたお盆の季節であるとともに、既に73年目を迎えた大戦終了の日を機に、平和を考える時とも言えます。今回は、この時期に、現在の日本において、防衛省・自衛隊と大学・研究機関との間の共同研究(=軍学共同)が急進展しつつある実情について、科学者として警鐘を鳴らしている重いテーマの本書を、あえて紹介させていただきます。

私が本書に関心を持ったのは、著者の名前は私の好きな天文学の研究者として存じあげておりましたが、本書が出版された直後に、著者の「天文学者が語る憲法」という講演を聞く機会があり、科学者として平和活動に取り組んでいることを知ったのがきっかけでした。

著者の池内了氏は、もともと理学博士(物理学)、天文学者、宇宙物理学者で、国立天文台教授、名古屋大学大学院教授、早稲田大学特任教授などを歴任、現在は総合研究大学院名誉教授。「世界平和アピール七人委員会」の委員でもあり、「九条科学者の会」の呼びかけ人も務めております。(1944年生まれ、京都大学理学部物理学科卒業、同大学大学院理学研究科、物理学専攻博士課程修了。)

日本は、第2次世界大戦後ごく最近まで、公然たる軍学共同は行われてこなかったですが、これは「日本の科学者が日本国憲法の精神を受け継ぎ、平和のための科学に徹し、軍事研究を拒否してきたからであり、世界的に極めて異例」であったと記しています。しかし、2015年に創設された、大学、研究機関、企業の研究者向けの資金供与の制度である「安全保障技術研究推進制度」などの実施によって、日本の科学研究の軍学共同路線が本格的に推進されつつある、と本書では述べております。

池内氏は、本年6月にも、「世界平和アピール七人委員会」として、世界とアジアの緊張緩和に背を向けている現政権の退陣を求める声明を出していますが、その背景の一つの論拠を示しているのが本書でもあり、そういう意味でも貴重な問題提起をしていると言えます。

■本書の概要(各章の紹介と本文より一部抜粋)
はじめに―軍学共同が急進展する日本
ここでは、本書を執筆した目的と各章ごとの概要について記している。「政治の保守化・軍事化と軌を一にして軍学共同が急進展する日本の現状をレポートしたもの」で、「さらに多くの方々に向けて、進みつつある軍学共同の実態を知らせるとともに、このような動きに警鐘を鳴らすことを目的として執筆した」と記している。

第1章 科学者はなぜ軍事研究に従うのか
科学者が軍事研究に従ってきた歴史をたどり、日本の戦前・戦時中の科学者が戦争協力に動員されていった経緯を振り返るとともに、ナチス・ドイツ時代の3名の著名な物理学者の、科学と政治に対する三者三様の生き方を紹介している。
「1938年、政府が国内のすべての人的・物的資源を統制運用できることを定めた国家総動員法が施行され、1940年には科学動員実施計画綱領が閣議決定された。(中略)文部省が新設した科学研究費交付金は、基礎研究のためということになっていたが、やがて戦争への動員のために使われるようになっていった。」(p22)

第2章 科学者の戦争放棄のその後
戦後における日本の科学者の平和路線とその揺らぎを見て、現在進行しつつある空(宇宙)と海(海洋)の軍事化路線を検証し、軍学共同への防衛省の戦略を読み解いている。
「科学技術基本計画は、1年間にGDPの1%、1期5年間で20数兆円もの科学技術振興経費を扱い、日本の科学技術政策に大きな影響を与える。2016年1月に閣議決定された第5期の同計画には、「国家安全保障上の諸課題への対応」が書き込まれた。今後科学の軍事化がいっそう加速されると予想される。」(p106)

第3章 デュアルユース問題を考える
軍学共同の口実あるいは積極的理由として使われているデュアルユース(両義性)について論じ、さらに、研究者を対象としたアンケート結果から、軍学共同に関する彼らの意識について考察している。
「積極的に軍事研究を行なおうと考える研究者を除いて、一般の研究者は民生のための基礎研究を行っているという意識が強い。しかし、手を加えれば軍事利用できる研究は数多くあり、そこに境界線を入れることは事実上不可能である。そのため、「軍事利用の危険性がある」というだけで研究を禁止できないのは確かである。(中略)問題となるのは軍から研究資金を供与される場合で、私はそのような研究は、いかに基礎研究に見えようと、将来必ず軍学共同につながるので行うべきではないと考えている。軍が興味を持つということは、すでに軍事利用に一歩踏み出しているのだから、デュアルユースではないことは明らかである。」(p115~117)

第4章 軍事化した科学の末路
世界各国で軍学共同研究が行われ、世界中で50万人を超す研究者が何らかの形で直接軍事研究に携わっているという見積りがあるが、原爆開発のマンハッタン計画を主導したオッペンハイマーをはじめとした、軍事研究にはまり込んだ科学者を待つ悲惨な結末について述べている。
「言葉の厳密な意味で、軍事研究が科学を発展させることはないことを言っておきたい。科学とは、さまざまな自然現象を支配している原理や法則を明らかにするための営みである。その原理や法則は、研究対象とする物体や減少に適用できるだけでなく、より幅広い対象にも適用できる普遍性がなければいけない。(中略)軍事研究で行われるのは、戦争に使われる軍事技術の開発である。科学で得られた知見を具体的技術に適用し、戦争を遂行するために役立つもろもろの装備や兵器などを製作したり改良したりする。つまり、軍事研究が発展させるのは、(科学ではなく)技術であることをまず強調しておきたい。」(p175)

おわりに―「人格なき科学」に陥らないために
現在の日本の状況を、一気に軍国主義化していったナチス・ドイツと同じ道をたどるのではないかと警鐘を鳴らし、日本がもしアメリカと同調して軍事力を全面的に展開するような国家となったら、日本の科学者の間にも、ナチス・ドイツ時代と共通する心情がいっそう広がるのではないかとの見方を示し、強く批判している。
「第五期科学技術基本計画に『国家安全保障上の諸課題への対応』という項目が書き入れられたように、国全体として安全保障に名を借りた軍事優先の方向に走り出しているのは確実だろう。これが日本の科学技術の要となり、そのために科学者・技術者を総動員する体制が今後敷かれていくのではないだろうか。産学共同で商業主義に、そして軍学共同で軍事化路線に占領され、「人格なき科学」に陥っていくのではないかと強く危惧している。」(p186)

■読後感想と視点
【全体所感】
私の読後の所感を一言で記すと、筆者の「科学と軍事は、もう取り返すことのできないところまで密接して来てしまっているという強い危機感と、それでも一人の人間として、科学者の良心や志を信じていたい、そして少しでも日本の軍事化を止めるための力になりたいという、切なる想い。」という感じでしょうか。
そして、私はページを進めるにつれて、正直なところ絶望感が深くなるばかりでした。著者は、あとがきの冒頭で、「本書は、いま日本において、急進展しつつある軍(防衛省・自衛隊)と学(大学・研究機関)との間の共同研究(=軍学共同)の実態を描き、今後予想される展開に対して警告を発するために書いたものである。」(p197)と、再度本書の目的を記載しております。
これは、見方を変えれば、科学者としての視点から「軍学共同」というテーマに絞って、その関連する問題点について記述していますので、その警告には限度があるということでもあると考えられます。具体的には、例えば既に経済の根幹にしっかり組み込まれている国防産業(軍需産業)そのものについて直接的に取り上げているわけではありませんので、「今そこにある危機」は、本書でカバーしているレベルを大きく超えている規模となっていることは容易に想像されます。また、ITの加速度的な高性能化により、国家間も民間事業も軍事的にも、単独には判断も行動もできない運命共同体的な構造が築きあげられているということにも、ほとんど触れておりません。従いまして、既に政治や経済のレベルで何とかなるという範囲を既に遥かに超えていることを認めざるを得ないのではないか、という意味で絶望感が深くなると記した次第です。
人類は、既に瞬時にして大量の血を流し、その存続を危うくする規模での破壊力を持つ技術を創りあげてしまいました。その現実を直視しながらも、これから先の持続的発展を担保するために、強い意志と想像力を働かせて何とか歯止めをかけていくこと、すなわち実力行使を想像する先には人間がいることを模索していかなければならないと痛感しております。「血を流す創造力から、血の通った想像力へ」という言葉が思い浮かびました。さらに加えて、科学の影響の大きな分野として、情報化、地球環境、生態系破壊、遺伝子操作、資源・エネルギー(とりわけ原子力発電)などの、本書の範疇を超えた人類生存規模での諸問題はまだまだあり、科学との平和的共存が本当に必要不可欠であることを改めて気づかされました。
筆者は、「おわりに」のタイトルを、「『人格なき科学』に陥らないために」と掲げ、本文を締めくくっております。そこでは、「科学による破滅を避けるために」「社会に責任を持つ科学者」など、繰り返し科学者に倫理的行動をとるように訴えており、また自身も抗議行動などの働きかけを実際に行っております。私は、既に決して若くない筆者の使命感あふれる行動に最大限の敬意を表しながらも、その成果がどれほどの結実を見ることができるのかの可能性を考えると、やはり深い絶望を感じざるを得ないのが実感です。

【視点1】やはりカギを握るのは政治の品質+官僚の力なのか?
本書で記載しているように、産業革命以降は、欧米諸国を中心に、国力を高めるために科学・技術が軍事と結びつき、経済規模の拡大と共に更なる国力の源となったことから、軍拡競争がエスカレートし、二度に渡る世界規模の戦争を招くという人類にとっての大きな悲劇につながってしまいました。そんな中で日本は壊滅的な国家状況から、驚異ともいえる経済成長を遂げながらも、敗戦から学び、国家が日本国憲法の平和主義の精神も上手く使いながら、軍事面では一定の歯止めをかけてきました。
しかし現在は、国家主導(アメリカ主導)で国防産業への後押しもあり、実質的な軍事力の増強が図られており、本書でも再三指摘しているように、大学や研究機関への巧妙な働きかけが、「科学者の良心」という踏み絵をも許されないような状況を、既成事実化しようとしています。この点については、日米同盟のあり方や昨今の東アジア情勢などの国際環境の変化への対抗上から、また経済力をキープしていくためには原発の再稼働や輸出、国防産業への更なるシフトも推進する、といった「現実的には止むを得ない」といった考え方は確かにあると思います。
しかし、私はそのような考えは良しとしません。なぜなら、そのような「現実主義」を掲げた場合は、「だから仕方がない」という思考停止に陥ってしまい、仮にこのままの状態が続いた場合は、地球規模での破滅がむしろ現実になってしまうことが危惧されるためです。
と、こうして世界的視野から近代の歴史を俯瞰してみた場合、結局科学は、どれほど先鋭的になって、また潜在的な破壊力を強くすることができたとしても、国家を動かす政治(および特に日本の場合は、その政治の意向に忖度してしまう官僚)の強大な存在の前では、その持つ力には限界があるということにならざるを得ないのでしょうか?

【視点2】科学における両義性の持つ本音と建前は、止むを得ないのだろうか?
筆者が本書において、とりわけ力点を置いているテーマは、両義性(デュアルユース)といえ、このテーマだけで1つの章(第3章)を設けており、さらに、あとがきにおいて、以下のようにまとめています。
「いかなる科学・技術の成果も平和目的(民生利用)のためにも戦争目的(軍事利用)のためにも両義的(デュアル)に使われ、研究段階においてはその区別はつかない。従って、軍事に適用できるからといって基礎研究段階で禁止することはできない。できた段階で利用法を考えるのは軍であり、自分には関係しない。また、将来、民生利用されて人々の役に立つかもしれないのだから、開発そのものは止めるべきではない」(p199)
そして、一般の研究者は民生のための基礎研究を行っているという意識が強いが、手を加えれば軍事利用できる研究は数多くあり、そこに境界線を入れることは事実上不可能と断言しております。また、巨額の研究予算を捻出するためには、軍事目的そのもの、ないしは軍事目的に転用することを可とする場合に有利であることや、軍事技術の開発は「安全・安心のための」民生技術の開発であり、それはデュアルではなく「モノユース」であるという考えも出てきていることを紹介しております。そして、デュアルユースを口実にした軍事研究への進出は、「軍事研究を行わない」という宣言をする以外には、防ぎようがないとの考えです。
さらには、「科学者は自分が発見した事柄が先々どのように使われるかを想像し、その結果を直視しなければならず、何らかの悲劇が起こると推測できたときは行動を起こさなければならない。それが面倒というのなら、人間としての資格はないといわざるを得ない。」とまで言い切っております。(p152より抜粋)
このような筆者の主張するところは痛いほど分かるのですが、コンピューター、インターネット、カーナビ、電子レンジなどが、もともと軍事技術として開発されたにもかかわらず、これだけ民生に転用されて大成功した製品が多く、それらの結果、多大な利便性を享受しているという現実があります。更には、いわゆる軍需産業ではなくとも、「自動車、船舶、航空機、エレクトロニクス、IT、人工知能、ナノテクノロジー、繊維など、多くの分野の企業で、多くの研究者が軍事用品への応用研究や開発を行っている」(p154)ことにも触れております。
これらの現実の意味することは、我々が経済活動の恩恵を受け、日々の生活を過ごしている実状で、軍事研究に関連する事項を排除していくことは、やはり不可能と言わざるを得ない、ということでしょうか?

■視点3:「核」の平和利用と軍事利用について―ヒロシマ・フクシマから何を学んだのか?
私は、本書のタイトルを拝見した時に、直ぐに原子爆弾の開発にかかわった科学者たちのことを連想いたしました。本書では触れられておりませんが、原爆開発計画を目的として第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた「マンハッタン計画」では、延べ約5万人にものぼる科学者・技術者を使い、総計約20億ドルの資金が投入され、現在のアメリカの「軍産官学複合体」を生み出す大きなきっかけとなったともいわれております。このプロジェクトに参加した科学者たちの倫理観については私は把握できておりませんが、科学者の立場でプロジェクトを主導したオッペンハイマーは、日本への原爆投下に反対した科学者を巧みに排除していったといわれております。しかし、戦後は核開発、特に水爆開発に反対するようになり、国家エリートの地位から追放され、結局は国家に翻弄された科学者の象徴のような例となってしまいました。
そして、現在進行形の問題として、福島第一原発の事故後、原子力発電政策を継続するか否かについては、反対する科学者(加えて憲法学者などの専門家も)の声が、結局は決定への影響力を発揮することができないのが実状です。その背景としては、日本は日米同盟を基に、核武装は差し控えるが核武装のための技術的・産業的な潜在力を保持する方針をとり、それを日本の安全保障政策の主要な一環とする(原発潜在的核抑止論)という考えが根強く、その方針を政府が強力に保持しているためと考えられます。
日本は原子爆弾を投下され、原子力発電で大きな事故を起こした唯一の国という事実があります。核の平和利用と軍事利用の「デュアルユース」については、本書が直接的に記載しているテーマではありませんが、科学者のみならず、国民全員の問題として、真剣に考えてみる必要性を痛感しております。

【今月の1枚】
8月初旬に、家族で瀬戸内のアートな島めぐりをした時の1枚です。
直島→豊島→犬島と周り、こちらは、犬島の「精錬所美術館」です。
抜けるような真夏の青空の下、廃工場を舞台に斬新な問いかけがあり、
強くこころに残る体験をしました。(8月撮影)

エコで高機能なLEDとSSD

台風が逆走して一回転している最中の投稿になります、大里です。
最近の家電とPCパーツのトレンドについての体験談を書かせていただきます。


●蛍光管シーリングライトをLEDシーリングライトに替えてみた。


ある晩、リビングの照明スイッチを押してみたら、

点かない、、

どうやら蛍光管が切れたらしい。

いつもであれば蛍光管を交換するところなのだが、最近は車もLED、信号機もLEDだし、東京都がLED交換を推進しているニュースも聞いていたので、予定にはなかったがLEDも有りかと思い、取り合えずAMAZONでLEDシーリングライトを検索してみた。

すると想定よりも安価な5,000円位で販売されていたので即購入。
AMAZONプライム会員なので、大抵翌日には届く。ヤマトさんいつもありがとう!

設置は簡単で、交換した古いシーリングライトは現住自治体ルールで不燃物、外した蛍光管も特定の回収日に廃棄しました。

で、交換した感想なんですが、すごく良い!
なぜ今まで知らなかったのか、、、

特にLEDならではの調光・調色機能。
私が購入したのは調光機能のみなんですが、食事する、テレビを見る、読書をするなど、そのシーンに合わせた最適な光量を選べるというのは、実に心地良い。

今回思いつきで交換するまで、LED照明に替えるメリットは、省エネしか想定してなかったんですが、いつの間にかリモコンの機能も充実しているし、単純に使い勝手が向上している事に交換するまで気が付きませんでした。
で、あまりの感動で、別の部屋の3か所のシーリングライトも交換し、我が家の照明のLED化が一気に加速しております。

もし蛍光管シーリングをお使いの方は、壊れてなくても、LEDシーリングへの交換はかなりお薦めです。


●PCを買い替えようと思ったが、試しにSSDを導入してみた。


昨年秋のある朝、OSが載っていたCドライブのハードディスク(以後HDD)がいきなりクラッシュした。

泣いた。

仕方がないので、代わりのHDDを速攻でAMAZONで注文した。
AMAZONプライム会員なので、大抵翌日には届く。ヤマトさんいつもありがとう!

なんとか復旧させて、しばらくは、そのまま仕事に使っておりましたが、あまり挙動がよろしくない。
立ち上がりが(Windows10)異様に遅いし、作業アプリ(PhotoshopやDreamweaverなど)も度々ハングアップする。そこにHDDクラッシュのトラウマもあったので、PC自体の買い替えも検討するようになりました。

しかし、私の仕事用PCだとそれなりのスペックが必要になりますので、結構お高いPCを選らばざる負えなくなります。
「ここは必要経費と割り切って買い替えてしまえ!」という魅力的(悪魔とも言う)な声と「とりあえず動いているんだし、余計な出費をせずしばらく様子見で」という内なる声のせめぎあい、、、
ただ、実際遅いPCは作業上大変なストレスになっていたのは、間違いありません。

そこで登場した新たな選択肢がSSDでした。
これもLEDの時と同様、なんか最近のPCでSSDってキーワードが増えてきたなあー程度の認知度だったのですが、そもそも当初は容量が小さかった(最高でも256GBだった)のであまり積極的に使いたいとは、思いませんでした。

しかし、最近はSSDの容量も増え、価格もこなれて来たので、PCを買い替える事を思えば、遥かに安価に導入出来る為、まあ今回使えなくても、今後使い道があるだろう程度の軽い気持ちで480GBのSSDを選択。AMAZONの購入ボタンを押したのです。
しつこいようですが、AMAZONプライム会員なので、大抵翌日には届く。ヤマトさんいつもありがとう!

交換方法の詳細はめんどいので割愛します。
簡単に言うとHDD(Cドライブ)データを無料ツールでまるごとコピーしてSSDに移動するのですが、移動元のHDDは1.5TBで、それを480GBに収める必要がある為、その事前作業が結構面倒でした。
OSデータと主なアプリだけでしたら、200GBもあればなんとかなるので、デスクトップやドキュメントなどをバックアップ用の別の内臓HDDに割り振って対処しました。

で、交換結果ですが、

爆速です。

ええ、ええ、起動もアプリの動作も、これが同じPCかと思えるほど劇的に変わりました!
しかも、HDDみたいに音がしないし発熱もない。
プロ用のPCほどSSDを選択されているのが実感できました。
SSDスゲーって感じです。

ただ、SSDのノートを使っている方がイマイチ実感できないというお話もありました。
手持ちのMacbookAirもSSDなんですが、こちらも快適動作なので、
SSDのバージョンや相性のようなものもあるかもしれません。
今回は同一PCでのHDDからSSDへの交換なので特に違いを実感できたというのもあるかもです。

PC買い替えご検討の方には、SSD交換というのもご一考の価値があると思います。

カラーバス効果

「ん?カラーバス? 色鮮やかな乗り合いバスか?」

そう思った方は少なくないかと思います(笑)。

カラーバス効果、これは心理学用語です。
英語で表記すると「color bath」となります。
直訳すると「色を浴びる」ということです。

「自分が意識した色が目に入ってくる」という心理現象を指します。

例えば・・・

「自分の息子が小学校に入学した。黄色い帽子と黄色いランドセルカバーがなつかしい」

  ↓

「通勤途中、息子と同じ黄色い帽子と黄色いランドセルカバーが目に付くようになった」

  ↓

「あ、黄色いベンツ。黄色い壁の家だ。タワーレコードの看板も黄色だな…」

  ↓

「最近、黄色いものが多いよな。」

のように。

もちろん、実際に黄色いものが増えたわけでは無く、意識の中に黄色いものが飛び込んでくる
ということなのです。

ひるがえって、欲しい情報は、意識をしていれば必ずどこからか入ってくる。
会いたい人は、意識をしていれば必ずどこかで会える。

欲しいものを手に入れるためには、意識をするところから始めるのもアリだと考えます。

ジャパニメーションのこれから

Web担当の大里です。今回はかなり趣味的なお話をさせていだきます。

先日「リズと青い鳥」というアニメーション映画を見てきました。
内容は、高校の吹奏楽部を舞台として、フルート奏者とオーボエ奏者である二人の高校三年生女子をメインにストーリーは展開します。親友と思っていた二人の思いが少しづつ噛み合わなくなっていく過程や、音楽的な才能の差に落胆し涙する場面など、驚くほどに繊細で美しく描かれ、静かに感動できる良作品になっています。

当初「おっさんが一人で行っていい映画なのか、、、」とかなり悩みましたが、日本の映画産業に貢献するという無理矢理な理由(間違いではない)を落としどころにして、足を運んだところ、意外にも似たようなおっさんは多く、全くの杞憂に終わりました。
親友との関係や音楽、進路などに悩む卒業を控えた高校生の話ではありますが、物語のテーマは不変のものであって、年配の人が見ても、共感したり懐かしく思い出す場面もあるかと思います。

今回の作品は現代劇であり、恐らく実写で作る事も可能でしょう。
しかしながら、世界的にも認知されている日本のアニメーションが築き上げた数々の表現手法は、実写を凌駕している面も多々あり、特に今回は独特の間合いや少し引いたカメラワークが素晴らしく、言い方は変ですが、実写よりもリアルに迫るものがありました。
今作だけでなく、2016年に話題になった「君の名は」「この世界の片隅に」や御大宮崎駿監督の数々の作品など世界に誇れる日本アニメーションの多くは、CGが多くなったとは言っても核になるのは、手作業による原画制作です。

日本のアニメーション黎明期に目標とし手本としたのが、ディズニーのアニメーションであり、今観ても精緻で美しく見事な作画だと思います。
ところが、原画制作者は職人に通じるものがあってか、技術を伝えて行くのが簡単ではないようで、実際ディズニーは技術の引き継ぎに失敗し、一時期ディズニーのアニメーション分野は低迷します。
逆に日本では、TVアニメーションを軸に技術と才能ある制作者を育んでいき、且つ日本独自の表現なども相まって、いつからか、ジャパニメーションと呼ばれる域に達しました。
その影響力から、これからの主力輸出産業の一つである、日本のコンテンツ産業の一角として期待されるまでになっています。

しかし、日本のアニメーション業界も危機を迎えています。

停滞していたディズニーアニメーションの危機を救ったのはCGアニメーションでした。
CGアニメーションはこれまでの手作業による原画制作に比較して、技術の伝達や作業の共有化も容易になり、制作効率を劇的に改善しました。
「トイストーリー」から始まるピクサー制作のCGアニメーションはディズニーのアニメーション部門を活性化させ「アナと雪の女王」で結実します。

対して、日本のアニメーション現場の多くは今でも手作業が主流です。
制作現場の労働環境は良いとは言えないようで、高校生のアルバイトレベルの低賃金で働いているアニメーターも決して少なくないようです。才能や熱意があっても食べていけないのでは良質なスタッフが育つはずはありません。
今回見た作品でもそうでしたが、スタッフロールに韓国や中国のスタッフ&制作会社が散見されるようになりました。
恐らくは両国の技術レベルが向上し、日本よりも安い賃金で参加されているのではないかと思われます。
つまり、技術の流出が始まっているのです。

永らく日本のお家芸の一つでありましたアニメーションが、韓国や中国にとって代わられる日が来るかもしれません。
だからと言って、ディズニーのようにCGアニメーション完全移行もまた正しいとは思えません。
技術は進歩しますから、この先も絶対とは言えませんが、まだまだCGアニメーションでは、「リズと青い鳥」の中で表現された空気感や美麗な動きを再現する事は難しいと思うからです。

願わくば、日本政府が正しくアニメーション産業を保護、推奨し、今後も素晴らしい作品が生み出され続ける事を一人のファンとして期待しています。

櫻井信夫写真教室作品展「視点XⅧ」のご案内

今回は1年ぶりになりますが、橋本から写真展の紹介をさせていただきます。
私が趣味で参加している写真家櫻井信夫氏の写真教室では、毎年1回、撮りためた写真の中から、テーマを決めて5枚の組み写真の形で展示をしており、以下案内となります。

私が都電の駅の近くに転居して既に20数年経ち、いつのまにか都電が近くにある光景もすっかり日常となってしまいましたが、今回はいつか撮ろうと思っていた“都電のある風景”にチャレンジしてみました。
慌ただしさが当たり前となっている東京で、唯一残っている路面電車は、地域の人との距離感も近く、撮れば撮るほどに、その独特の味わいを感じました。昨年都電には“東京さくらトラム”という愛称が付いたことの影響もあるのか、自宅近くの神田川沿いの桜と都電を写す人が、例年より増えた印象があります。
都電の醸し出す空気感を、少しでも伝えることができましたら幸いです。

【今月の2枚】

自宅近く学習院下駅付近にて(2017年11月撮影)

自宅近く神田川に架かる橋にて(2018年3月撮影)

【写真展概要】
日 時 : 2018年4月6日(金)~8日(日)
午前10時~午後6時まで(最終日午後4時まで)
場 所 :三鷹市芸術文化センター
三鷹市上連雀6-12-14
交 通 :JR三鷹駅南口 小田急バス②番乗り場で乗車
3つ目「八幡前・芸術文化センター」下車 バス停前

東日本大震災から7年

今回スタッフブログを担当する松本美虹です。
よろしくお願いいたします。

そろそろ、東日本大震災があった3月11日がやってきますね。
2011年に起こったので、今年で7年になります。
今年はちょうど日曜日に当たるので、同日に全国で東日本大震災に関する催しが行われるのではないでしょうか。
2011年3月11日は金曜日でしたので、仕事中の方がほとんどであったかと思われます。
人によっては卒業式に地震があったという方もいらっしゃるようです。

「地震」「震災」の関係について。
いつも自分は、地震発生後に震災があったので、
「東北地方太平洋沖地震」発生後に起こったのが「東日本大震災」、
「兵庫県南部地震」発生後に起こったのが「阪神淡路大震災」(1995年1月17日)
と理解するようにしています。

今回の地震より以前に東北で地震が起こったのは、1933年(昭和8)の昭和三陸地震。
やはり、この時も津波が起こりました。
岩手県花巻出身の詩人・童話作家の宮沢賢治は、この年に37歳で亡くなっています。
そして実は、彼が生まれた1896年(明治29)にも陸羽津波という津波が起こっています。
宮沢賢治の生誕年と没年を見ると、これくらいの周期で地震、津波が起こっていると分かります。
とても象徴的ですね。

民俗学という学問を開いた柳田國男が1910年(明治43)に発表した『遠野物語』には、岩手県遠野地方に伝わる伝承などが掲載されています。
遠野も地震の被害はありましたが、沿岸部と内陸部を結ぶ地域であったため、ボランティア希望者が集まる場所の一つだったようです。
遠野から海岸部である釜石、大船渡までの距離を調べると、両方とも車で約1時間。
沿岸部から離れており、津波の被害が大きい海岸部へ行きやすい地域なので、ボランティアを送り出せたようです。

また、『遠野物語』には津波に関する話が出てきます。
例えば、津波で妻を亡くした男が、幽霊の妻と会う話など。
『遠野物語』が発行された年は、明治三陸地震が発生した1896年(明治29)の14年後となります。
今回の震災と関連して読んでみるのも良いと思います。

それでは、それぞれの3.11をお過ごしくださいませ。

エニアグラム心理学で人間を知る~その1

本年最後は橋本が担当させていただきます。今回は、以前私のブログでも紹介しましたエニアグラム心理学についてです。

毎年12月には恒例で今年の漢字が発表され、今年は“北”でしたが、正直なところ、私はあまりしっくりきませんでした。というのは、やはり北といえば、今年は北朝鮮の脅威を実感したということが真っ先に思い浮かぶため、国家間のデリケートな事情もかかわってくることを、あえて選ぶのはどうかと思った次第です。日本漢字検定協会の一般公募で最多だったとのことで、他にも九州北部豪雨や、大谷・清宮両選手の動向が話題になった北海道日本ハム、競馬のキタサンブラックなども選ばれた理由とのことですが、何というか、もう少し直接的ではない漢字が欲しかった気がします。

エニアグラム心理学で国の指導者を見る
そこで今回は、北朝鮮の金正恩委員長について少し考察してみます。エニアグラムの切り口から、国家のトップの気質を見てみますと、金正恩はアメリカのトランプ大統領と同じで、タイプ8(強さを求め自己主張する人)であると思われます。北朝鮮が大国米国と渡り合おうとするのは、核という交渉の切り札を持っていることも大きいですが、力を信じなかなか妥協できない気質であるために、どうして正面から衝突してしまうことが考えられます。加えて、中国の習近平国家主席も同じくタイプ8であることで、米中の2大国は、今まで以上に力によって世界を2分する覇権争いをする未来図が予想されますが、そんな中で北朝鮮は瀬戸際ながらの在り方をしています。

そのような構図の中で、日本の安倍首相はタイプ6(安全を求め慎重に行動する人)であるために、北東アジアにおいて、タイプ8のトップのトライアングルの中で、タイプ6の安倍首相がどのように存在感を示していくかは、注目されるところです。

タイプ6は人間的に優れたタイプ8の下では、親分と子分の関係で自分の身の安全が保障されているために、力を発揮しやすいといわれています。そういう視点から考えると、トランプ大統領の懐に入っているとの見方もされる安倍首相が、「日米同盟の揺るぎない絆を世界に示した」と発言したのは、自分にとっての居心地の良さとも符合していると思われます。しかし、トランプ大統領の行動の源は力による支配であり、その人間力には疑問府がつくだけに、「信頼できる指導者」「日米は100%共にある」となると、相対する相手側からの過剰な反発を呼ぶリスクがあることから、それは決して適切な戦略とは思えません。安倍首相には、タイプ6の持つ堅実さ・誠実さという強みを活かして、関係各国との折衝・調整に力を発揮していただきたいということを、切に望みます。

 

そもそも、エニアグラム心理学とは?
今回は少々大きな話になってしまいましたが、私はそれほどエニアグラム心理学で、人間行動のエネルギーの源泉を探ることができると考えております。

以前も記載しましたように、エニアグラム心理学とは、「性格は特定の気質から形成され、人間は生まれながらにして9つの気質タイプに分けられる」という考えに基づいております。人間は、無意識のうちに自分の身を守る反応の仕方やエネルギーの出し方が違っていて、それは9つの型に分類されるという理論体系です。

このように書くと、性格なんてその時の状態で変わるのではないか?タイプ分けができるなんて、何だか胡散臭い印象があるし、本当に合理的なのだろうか?そもそも本当に9つのタイプに分けられるものなのか、レッテル張りをするようで、悪い影響の方が多いのではないか?といった疑問点が出てくるのが当然かもしれません。

エニアグラムについては、多くの機関で様々な角度から研究され、解釈や見解による少々の差異は見受けられますが、私が対人関係上とても役に立つと思う点は、主に以下となります。

  • 性格を、持って生まれた変わらない部分=気質と、環境・習慣・学習などの後天的に形成された変えられる部分の多重構造として捉えていて、そもそもの気質に違いがあることを前提としているため、全く自分とは違う性格と思われる人を受容できるようになった。
  • 様々な事象に対して、自分では当然と思っていた捉え方が、他の気質タイプであれば、そもそもそれぞれ全く違う反応となることを理解したため、無意識な思い込みによる認識のズレが多々存在する怖さを知ることができた。
  • 何よりも、今までの自分を形成してきた無意識なエネルギーがどこから来ていたかを実感することができたため、過去の自分の行動の良かったところも、様々陥ってきた失敗の原因も、見事に種明かしされたという確信が持て、そのことにより、とても気持ちが楽になれた。

ただし、これらも自己認識ですので、どこまで説得力があるかどうかについては、謙虚にならなくてはいけないですが、私にとってエニアグラムは、9つのタイプがあるというシンプルな構造ではありながら、実に多くの対人関係や人間的成長のヒントがあるということを実感しております。

なお、少なくとも、以前のブログで記載しましたように、エニアグラム心理学は、そもそも人間は多様な存在として生まれてくるという前提に立っているため、本質的な意味でのダイバーシティの必要性の論拠となることは、再度触れておきたいと思います。

 

エニアグラムの9つのタイプ別特徴とは?

それでは、9つのタイプとは具体的にどのような違いがあるものなのでしょうか?

以下、それぞれのタイプについて、概説を記載いたします。

タイプ 特徴 根源的欲求 好きな言葉
1.完全でありたい人 細部にこだわり、公平で自制心が強い。好嫌の感情に偏らず、公正な態度を貫き、踏むべきプロセスをきちんと踏み、手抜きをしない。 良くあること、一貫性があること 「~であるべき」「絶対に」「~でなければならない」「完全に」
2.人の助けになりたい人 良く世話を焼き、心が温かくてやさしい。自分の損得は二の次にして、相手(会社)の喜びを中心に考え、心の触れ合いを大切にする。 愛を感じること 「ありがとう」 「感謝」「人間関係」「おかげさまで」「謙虚」
3.成功を追い求める人 何事も手際が良く、挑戦意欲が高い。人から評価を得るために、常に上を目指し、自分を高め、チャレンジ精神が強い。 スター性があるともいえる。 自分に価値があると感じられること 「達成」「競争」

「業績」「評判」

「賞賛」

4.特別な存在でありたい人 自己の内面にある独創的なアイデアを大切にする。 繊細で傷つきやすい。一人一人を差別なく大切にし、真に独創的で価値あるものを生み出そうという意識を持つ。 自分自身であること 「夢」「感動」

「価値」「自分らしさ」 「創造的」

5.知識を得て観察する人 冷静で分析力に富み、物事を論理的に考える。 主観に囚われず、色々な視点から情報を集め、必要とあれば路線変更できる柔軟性を持つ。 能力があり、役に立つこと 「論理的」「客観的」「観察」「分析」「事実」

 

6.安全を求め慎重に行動する人 誠実な人柄。常にリスクを考え行動し、慎重で節度をわきまえる。目立たなくてもかまわない慎ましさと優しさを持ち、縁の下の支えでも、骨身を惜しまず役割を果たす 。 安心、安全であること 「安全」「安心」 「責任感」「誠実」「忠実」
7.楽しさを求め計画する人 好奇心が強い。 明るく社交的。 物事のプラス面、明るい面を見逃さずに可能性を信じる。失敗しても、拘りを捨てて、軽いフットワークで再び立ち上がる。 満足し、充足すること 「楽しい」「前向き」「計画」「素敵」「ラッキー」

 

8.強さを求め自己主張する人 自己主張が強い。決断力のあるリーダーで、度胸があり大胆に行動ができる。勝つために、組織のエネルギーを集中的に発揮させる決断力と行動力を持つ。 自分を守ること 「挑戦」「白黒はっきり」「勝負」 「徹底的に」「闘い」
9.調和と平和を願う人 包容力のある人柄で、おっとりとして穏やか。じっくり時間をかけて、待つべきところは待ち、安心して発言できるような雰囲気を作り出す。 心の平和と安定性 「平和」「調和」

「たいしたことない」「なんとなく」「バランス」

 

上記の表をご覧になって如何でしょうか?

ここで紹介した内容は、各タイプの説明としてはごく一部ではありますが、ここまで読んできますと、自分のタイプは何?そして家族や友人、同僚のタイプは何?を知りたくなると思います。

 

自分のタイプ探しは簡単ではない

それでは、どのようにして自分や他者のタイプを知るのかということについてですが、ネットや書籍では簡単に診断できるツールが紹介されていますので、試してみることはできます。しかし、私の経験では、実はなかなか一筋縄ではいかないというのが実感です。

人は成長の過程で様々な環境や教えの影響を受け、役割期待や社会的要請への対応を重ねていくうちに、後天的に「性格」が形成されていくため、先天的な気質はとても分かりにくくなっているためです。もちろんそれは自分の身を守るためには必要ですので、決して悪いことではありませんが、そのことで、もともとの気質から来るエネルギーを知ることは、とても難しくなるわけです。

私は現在、約3ヶ月に1回、専門の先生が主催するエニアグラム心理学の勉強会に参加していますが、タイプ別の掘り下げやビジネスへの応用など、学べば学ぶほど、“人間学”と呼んでも良いほど奥が深い、ということを痛感しております。

次の機会では、9つのタイプについて、より詳しく見ていきたいと思います。

 

 

【おまけ】今月の1枚

大阪・万博公園にある太陽の塔です。1970年に開催された万国博覧会から既に半世紀近く経ちますが、その圧倒的な存在感は全く失われていません。内部が改装され2018年3月には一般公開されますが、その眼差しはどこに向いているのでしょうか?(2017年9月撮影)

Week End スポーツジム

皆さんお疲れ様です、Web担当大里です。

私は仕事がら一日の内で座っている時間がかなり長いです。
必然的に運動不足になりがちで、ある時期には慢性的な首の痛み、肩こり、腰痛、眼精疲労に肥満、高血圧と生活習慣病まっしぐらな状態となっていました。

危機感が無かったわけではなく、一時ランニングを日課にして、かなり効果も上げていたのですが、足首や膝を痛めた事がきっかけで、継続できなくなりました。
室内用の話題の運動器具なども試しましたが、これも続かず、自分の体調のことながら放置ぎみにしていた3年前のある日、妻に誘われてスポーツジムに行くことになりました。

そのスポーツジムは比較的通い易い立地で、しかもオープン直前のお試し期間という事で2ヶ月間大変お安く通えるし、無理そうなら辞めれば良いという、妻の甘言にまんまと嵌った私は、生涯で始めてのスポーツジムを体験しました。

施設が新しいという事もありますが、明るく清潔でとても利用しやすく細かい心配りが出来ているし、スタッフが皆さん大変明るく親切だったこともあり、初心者の私でもすんなり利用できました。ちょっといい感じのホテルというか、最近のジムって接客レベル高いんですね。

当初は、スタジオメニューを中心に利用しました。ダンス系とか格闘技系なんかのプログラムなんですが、それを約60分。
スタジオメニューの良い所は短時間で全身にインパクトを与えらえる事でしょうか。心肺機能も鍛えられますし、良く考えられています。
欠点としては、自分のペースで続けられない点で、少し無理をしてしまい膝を痛めてからは余り利用しなくなりました。

それ以降、マシン中心の利用に変わり現在は下記のような流れで続けています。
開始:ストレッチ→有酸素運動としてランナーで20分走→筋トレ系のマシンで約30分腕や腹筋、太ももなどを鍛える→ランナーで20分走→ストレッチ:終了

利用方法については、悩んだらスタッフに相談すれば、的確にアドバイスしてもらえるし、他の人を見るのも勉強になります。

現在ジムは週一で利用しています。
本当は週に2~3回利用できれば良いのでしょうが、それでも以前より体調の方は随分と改善されました。
先ず、筋肉痛になる事はありますが、首の痛み、肩こり、腰痛は全くなくなりました。
体重もかなり落とせましたし、血圧も下がりました。
思うに、週一であっても心肺機能をしっかり働かせて汗をかくのが良いのだろうと思います。

なんだかんだでジムは3年継続しています。その続けられている理由ですが、大きな所では下記3点かと。
○お金を払って通う
○同じ動機で通う人が多数いる
○感じの良い施設とスタッフ

考えてみると、年齢も性別も全く接点のない人達が共通の目的で集う場という意味で、以前ヤマハ音楽教室でチェロを習っていた頃の雰囲気と共通しています。競う相手というか、同士がいると燃えるんですよね。

ニュース等でも流れてましたが、ジム自体増えつつあるようで、その利用者層に高齢者が増えているとか。

もし、体調の改善や運動方法で迷っておられる方がいたら、ジムの利用をお勧めします。
ほとんどのスポーツジムでは1日体験コースとかありますので、一度試してみてはいかがでしょうか?

余談ですが、私の利用しているスポーツジムは数か月前に2017年10月末日で閉鎖すると告知がありました。
気に入っていたジムだっただけに、結構落胆したのですが、なんと!その後大手のスポーツジムが引き継ぐと発表され、明日12月1日リニューアルオープンとなります!!今からとても楽しみです。

ハロウィーンに似た祭は日本にもあった

初めてスタッフブログを担当する松本です。
自分は、かつて日本で暮らしていた人々の生活文化に興味を持っています。
今回は日本の文化に関する事柄について、書かせていただきます。

このブログを執筆しているのは10月下旬です。
近年、この時期は街の店などでハロウィーンのお菓子などが売り出されています。
10年程前は、現在よりハロウィーンは流行ってはいませんでした。
バレンタインデー、ホワイトデーのように商業的に効果があるのは分かるのですが、個人的にはまだ違和感があります。
日本では昔から秋には、収穫祭などの祭が行われていました。
また、ハロウィーンのように各家をまわってお菓子を貰う風習は日本にもありますが、外国からきた文化であるハロウィーンの方が商業的に盛り上がっています。

鹿児島県・徳之島のある地域では、毎年秋に「モチタボレ(餅たぼれ)」という、子どもが各家をまわり、お菓子を貰うという風習があります。
「モチ」は餅、「タボレ」は頂戴という意味だそうです。
おそらく、かつては餅を貰っていたと思われます。
私は約20年前、10月下旬~11月初旬に徳之島に行く機会がありました。
その際「モチタボレ」を初めて知り、地元の中学生と共に各家をまわらせていただきました(当時は私も中学生です)。
まわる時間帯は夜で、家に行くと家の方は子どもが来ると分かっているようで、予め袋に詰めていたお貸しをくれました。
夜に行われるという点も、ハロウィーンと同様ですね。
何軒もの家をまわり、足が疲れてしまったのを覚えています。
今、思うと、とても貴重な経験をさせていただきました。

ハロウィーンの風習は、まだ日本で流行り始めたばかりです。
そのうち日本に合わせた様式に変わっていくのではないかと思われます。
ハロウィーンのカボチャは怖いものとして日本に入ってきたはずですが、近年、可愛い顔のカボチャを街で見かけるようになりました。
沖縄のシーサーにも同様のことが言えます。
魔除けとして家の屋根に存在している沖縄のシーサーは本来怖い顔をしていますが、お土産のシーサーは可愛く笑っているものもあります。

昔から日本で暮らす人々は外国からきた文化をそのまま受け入れるのではなく、自分たちの生活様式に合わせて変化させてきました。
例えば、中国からきたウーロン茶を冷やしたアイスウーロン茶は、中国では見かけないようです。
その他には、たらこスパゲティ、カレーパンなどを挙げることができます。
ハロウィーンが今後どのような祭に変化していくか、見ていきたいと思います。

人間は一日に何回「選択」をするか?

今回は、鈴木がお送りします。
 
 私たちは、普段から色んな選択、意思決定をしています。
 仕事をしていれば、「この案件を進めるか?、止めるか?」や
 「どちらの施策を取れば、より業務効率化が図れるか?」
 「どっちの仕事を先にやろうか」などの選択の場があります。
 それらの選択は、意識をして行っています。
 そう考えると、一日の選択の回数は、そんなに多くないのでは?と
 考えられます。

 しかししかし!
 実は人間は、一日「60,000回」もの選択をしているとのこと。
 
 信じられます?その数字!!
 これは、無意識の選択も含むということです。
 つまり、朝起きるときからそれはカウントされます。

   目覚まし時計が鳴る ⇒ 止める ⇒ 起きる or 二度寝する
 
 どうでしょう?これも選択ですよね?
 着ていく服、持って出る物、鞄を持つ手はどちらか、傘を持つかどうか、などなど。
 選択は常に目の前で繰り返されています。
 しかもそのほとんどが無意識のもの。

 よく、「習慣を変えれば行動が変わる」と言いますが、なかなか習慣を変えるのは
 困難だと考えます。

 実はそんなときにやるべきこと。
 「選択を変えると習慣はおのずと変わってくる」
 なんです。

 無意識に選んでいる事を、立ち止まって考えてみる。
 無意識なので、そこを意識するところに困難が伴うかも知れませんが・・・。 

   目覚まし時計が鳴る ⇒ 止める ⇒ 必ず起きる 

 という選択をすることで何が変わりますか?

 選択結果が変れば、習慣が変ってくる気がします。
 そうなれば、きっと望む変化も可能になってくるのではないでしょうか?

 無意識の選択に意識を向け、「選ぶこと」をしっかりと捉えることで、
 向かいたい方向に歩を進めましょう